ARC:204隻のヨットが大西洋を恐れなくなった理由
ジミー・コーネルは大勢で海を渡るという発想を思いつき、クルージング・セーラーにとって最も恐ろしい出来事を、貿易風とラム酒で終わる毎年恒例の祭典に変えた。
1986年以前、帆走による大西洋横断は孤独な者たちの仕事だった。あなたと、ヨットと、3000マイルと、何日も周囲に誰もいない状況。多くの者が夢見て、決行する者はわずかだった。
そこでジミー・コーネルはシンプルな提案をした。みんなで一緒に渡ったらどうか、と。
最初のスタート
1986年11月25日、スペイン海軍のフリゲート艦の号砲が、グラン・カナリア島のラス・パルマスからのスタートを告げた。24カ国から204隻のヨットが出走した。ゴールはバルバドス島のブリッジタウンに設定されていた。
このアイデアはあまりに正しく、ARCは世界最大の外洋横断イベントとなり、今もその地位を保っている。現在のゴールはセントルシア島のロドニー・ベイで、参加艇数は定期的に200隻を超える。
なぜうまくいくのか
ARCはスポーツ的な意味でのレースではない。順位は計測されるが、これはラリーだ。同じルートを同じ時期に進む、自由な船団である。
大西洋を渡ったことのない人間にとって、これが何をもたらすか。
- 一人ではない。 船団は同じ海域を進み、無線で連絡を取り合い、共通の点呼スケジュールに従う。
- 準備が確認される。 スタート前に主催者がヨットの検査とセミナーを行う。リギングやセールから、医療、通信まで。
- 天候はみんなで検討する。 出航前のブリーフィングで、その年、貿易風をどこで探すべきかが分かる。
- ゴールで待っていてくれる人がいる。 どの艇も、時間帯を問わず桟橋でラム酒とともに迎えられる。これのためだけに参加する価値がある。
貿易風
ルートは偶然選ばれたわけではない。北東貿易風に沿って進む。この風はほぼ全行程で追い風として吹き続ける安定した風だ。
ここから古いスキッパーの言い習わしが生まれた。冷蔵庫のバターが溶けるまで南下し、それから西へ舵を切れ。 この冗談は実際の戦術を表している。まず貿易風の安定する緯度まで下り、それから大洋を横断する、というものだ。
実際には、これは二週間から三週間、船尾から安定した風を受け続けることを意味する。ギリギリのレースではなく、長い作業だ。当直、食事、故障、星々、そして周囲の途方もない量の水。
ARC+ ―― 同じ大洋を、島伝いに
このラリーには弟分がいて、こちらは早めに出発する。ARC+はラス・パルマスから直行するのではなく、カーボベルデのミンデロに寄港する。
この分割には二つの意味がある。第一に、1500マイルの航海を二回行う方が、心理的には3000マイルを一度に行うより楽だということ。第二に、カーボベルデは、大洋で最も何もない区間に出る前に、最初の区間で発生した不具合を修理する機会になるということだ。
子供連れ、あるいは初心者が乗り組んでいるクルーにとって、ARC+は本家ARCより理にかなっていることが多い。
参加を検討しているなら
エントリーはかなり早めに、1年以上前から行われ、枠は埋まっていく。
準備を怠った人々が後悔する三つのこと。
- 「念のためのセット」ではなく、自分のヨット専用のスペアパーツ。 大西洋の真ん中に店はなく、船団の隣の艇があなたのインペラーを積んでいるわけでもない。
- オートパイロットと、そのバックアップ。 三日間連続の手動操舵は、どんな嵐よりも早くクルーを疲弊させる。
- 本当に食べたいと思える食料。 14日目になると、これが突然、船上で最も重要な問題になる。
そしてもう一つ。大西洋を渡るのは、2週間の風の中でではなく、1年間の準備の中でだ。ARCはまさに、その1年を一人きりで過ごさないために考案されたものだ。